北海道大学馬術部東京OB会 名誉会長 樋口正明
幹事 八木澤 守正
北海道大学馬術部東京OB会長、大場善明氏(昭和35年度主将)が令和4年(2022年)5月13日に亡くなられました。85歳。
北大馬術部への大きな愛情と東京OB会へ多大な貢献は余人をもって代えがたいものでした。
大場善明氏は、卒部目前に刊行された「馬術部三十年史」(昭和37年1月1日発行)、また平成21年10月に刊行された「北海道大学馬術部75年史」の編集を実質的に主導しました。昭和5年に始まる北大馬術部の伝統を、繋養馬匹の記録、戦績、年表など詳細なデータが今に至るまで残っているのはその御蔭です。
一方、現役時時代の戦績も華々しいものがあります。北大馬術部の繋養馬匹の中でも名馬の誉が高かった「北嶺号(旧馬名 ヨシタカ)」に騎乗して、北海道大会、国民体育大会(国体)、全日本学生自馬選手権大会、全日本馬術大会において別表に示すように華々しい戦績が残されています。貸与馬競技でも東日本学生馬術争覇戦団体競技、七帝戦(現:国立七大学戦)馬術大会、東北・北海道学生馬術選手権大会、全日本学生馬術王座決定戦、北海道馬術団体選手権大会、全日本学生馬術選手権大会などでも個人戦、団体戦の主要な選手として多くの優勝もしくは上位入賞しています。
「北嶺号」は,駆歩の完歩が大きく小回りが苦手でしたが、垂直に高く飛び上がって障害を飛越する能力に優れていました。
この馬では、昭和34年の東京国体の六段飛越競技で、森本悌次兄(昭和34年度主将)が五完飛(最終障害170センチ)を遂げて見事優勝したのですが、その後を継いで「北嶺号」調教担当となった大場さんは見事に乗りこなして、直線上に障害が配置される六段飛越競技において、昭和30年以後の国体および全日本馬術大会で上位入賞の優れた戦績を収めています。
特筆すべきは昭和35年の熊本国体での戦績です。上述のように小回りと水平飛越が苦手な「北嶺号」でしたが、大場さんは理論を勉強しながら調教を続け熊本国体に出場しました。国内の優秀馬80頭がエントリーした中障害飛越競技において、7頭の満点馬によるバラージュ(ジャンプオフ)に残り、最も手強い強敵であった京都大学の「サターン号」と学習院大学の「藤桜号」が落下のミスを犯した高さ・幅共に130センチの第7障害 “カマボコ横木” をも見事に飛越し、優勝の栄誉に輝いたものです。
大場さんは、卒部後、読売新聞社に入社し東京勤務となり、昭和34年11月に発足した北大馬術部東京OB会の運営に協力されておりましたが,2001年に初代の東園基文会長が名誉会長に就任され、第二代の樋口正明会長が就任した時点で幹事長に就任し、会務の改革に尽力されました。特に会員管理とホームページの充実、年次総会・新年会および現役激励会・懇親会の企画・運営,そして会計業務の担当まで、東京OB会の全ての活動を円滑に進め、組織固めに腐心されました。
一方で,現役が東京および近郊で競技会に出場する時には,常に長焦点のレンズを装着したカメラでベストショットを撮り,出場選手に寄贈するなど後輩の面倒見がよく、後輩に頼られる存在でした。
「北海道大学馬術部75年史」には,北大馬術部で繋養した馬匹が,昭和18年に入厩した「瓔珞号」から平成19年に入厩した「サクラフォルツア号」までの127頭について、旧馬、性別、種類、毛色、生年月日、生産地、父母、入厩/離厩、競技戦績が詳細なリストとして掲載されています。
このリストは大場善明さんが毎年の「馬術部報」の記事をコツコツとかつ徹底的に調査して作成されたものです。北大馬術部の歴史の基本となる極めて重要な資料です。また、同様に掲載されている戦績は、競技に出た選手の成績が詳細に記録されている資料ですがこれまた、大場さんの尽力に拠るものです。
乗用馬と馬術競技に対する知識、北大馬術部と後輩に対する愛情があって初めてこうした意義深い業績がを残されたれもので感謝の念、これに過ぎるものはありません。
大場さんは競技会や乗馬会には必ずと行ってよいほど参加していましたが,自身が乗馬することは稀でした。平成20年から毎年5月上旬に、群馬県太田市で「かなやま森林馬事公苑」を経営する恩田正臣兄(昭和37年度副将)のご好意により「東京OB会かなやま乗馬会」を催していましたが、そこでは乗馬姿が見られました。大場さんの5年後輩になる昭和37年入部した部員の同期会のメール交換ネットにすすんで参加、その同期会が平成18年に別海町の「野付ライディングファーム」で催した乗馬合宿にでも大場さんの乗馬姿がアルバムに残っています。
東京OB会の初代の東園基文会長が2001年に名誉会長に就任された折には,表彰盾に添えて、高輪プリンスホテルのパテシェが腕を奮って造り上げた馬をデザインしたデコレーションケーキを贈呈されるなど、東京OB会の冠婚葬祭には心の籠った対応をして来られましたが、大場善明兄ご自身のご逝去の折には、コロナ禍への配慮から近親の方々のみで葬儀を済まされ、2週間後にご子息から訃報を頂戴した次第でした。会長のご葬儀に東京OB会のメンバーが誰一人参席できなかったことを申し訳なく思っております。
【自馬競技】 | |||
昭和34年 | |||
第6回北海道馬術大会 | 複合競技 | 北嶺号 | 3位 |
第14回国民体育大会(東京) | 中障害飛越競技 | 北嶺号 /北楡号 |
出場 |
第2回全日本学生自馬選手権大会(東京) | 総合馬術競技 | 北嶺号 | 出場 |
第12回全日本馬術大会(東京) | 中障害飛越競技 | 北嶺号 | 12位 |
昭和35年 | |||
第7回北海道馬術大会 | 複合馬術競技 | 北嶺号 | 4位 |
第15回国民体育大会(熊本) | 中障害飛越競技 | 北嶺号 | 優勝 |
第3回全日本学生自馬選手権大会(小倉) | 総合馬術競技 | 北嶺号 | 12位 |
昭和36年 | |||
第8回北海道馬術大会(帯広) | 六段飛越競技 | 北嶺号 | 優勝 |
【貸与馬競技】 | |||
昭和33年 | |||
第5回東日本学生馬術争覇戦(東京) | 障害飛越競技 | 団体 | 優勝 |
昭和34年 | |||
国立七大学馬術大会(名古屋) | 障害飛越競技 | 団体 | 3位 |
東北・北海道学生馬術選手権大会(札幌) [全日本学生馬術王座決定戦予選] |
障害飛越競技 | 団体 | 優勝 |
全日本学生馬術王座決定戦(東京) | 障害飛越競技 | 団体 | 3位 |
北海道団体選手権大会(帯広) | 障害飛越競技 | 団体 | 3位 |
昭和35年 | |||
国立七大学馬術大会(京都) | 障害飛越競技 | 団体 | 4位 |
東北・北海道学生馬術選手権大会(帯広) [全日本学生馬術王座決定戦予選] |
障害飛越競技 | 団体 | 2位 |
東北・北海道学生馬術選手権大会(札幌) | 総合馬術競技 | 個人 | 優勝 |
東日本学生馬術争覇戦 | 障害飛越競技 | 団体 | 2位 |
全日本学生馬術選手権大会(東京) | 複合馬術競技 | 個人 | 出場 |