小島 武(昭和39年卒)
・ 天をつくポプラの森のしずけさよ
・ 楡新樹昔のままにむせ返り
・ 植物園昔のままに花サビタ
・ 馬の仔のふえてたのしや調馬せん
(50人の馬仲間の心を私が歌った俳句です。)
・ 荒馬に打ちまたがりてグランプリ
平成17年、私の定年旅行に家内と札幌を訪ねたときに浮かんだ句です。札幌では市川君、八木夫妻、近藤君、牧竜子さん、寺江則子さん、小島夫婦が旧交を温めました。
この50人のうち最近まで交流が続いた同期は、八木正巳、高木佑太、三浦清一郎、荒木伸也、田村雅英、小林則子(旧姓 寺江)、横沢貴美子(旧姓 入江)、小島武の8名が記憶に残ります。
私たちが北大馬術部に入部したS35年の主将は大場善明先輩でした。そして千葉祐記氏、市川瑞彦氏、八木正巳氏へと引き継がれた時代を振り返ります。
私が1年次から卒業するまで馬場はポプラ並木の横で、岡田光夫先輩が良く指導にこられていました。当時、同先輩からは北大馬場に沢山の砂を頂き感謝したものです。
私の1年次の七帝戦は京大の開催、2年、3年次は北大での連続開催となり成績も北大の連覇でした。4年次には九州大学の開催でしたが、審判のミスジャッジに泣かされました。今も思い出しますが、八木君と対戦した九大の選手が経路の途中で馬に反抗され『馬が立ち上がった」にもかかわらず、九大の審判はこれを見逃し、僅差で準優勝に終わったのが残念でなりません。このときOBの千葉祐記(当時、雪印乳業勤務)さんからアイスクリ-ムの差し入れがあり、参加選手みんなで楽しんだ思い出もあります。
九州からの帰路、七帝戦報告のため全員で東京銀座の読売新聞社に押しかけましたが、本音はただ食いが狙いが正直なところでした。
北大馬術部での私と八木正巳君の最終戦は、全国学生馬術王座決定戦でした。前年度の優勝から2連覇を期待されて金沢大学、大阪府立大学には快勝でしたが、鹿児島大戦でまたしても審判「川口宏一氏」のミスジャッジで不覚の敗戦を喫し、最終、学習院大戦に惨敗し、2連覇の夢は露と消えました。また私たちの馬術部時代は、東北大定期戦、帯広畜産大学定期戦、札幌鉄道管理局定期戦や、福島大学、早稲田大学、慶応大学、酪農学園大学など数多くの親善試合にも出かけました。北大の単独主催による招待全日本女子学生馬術大会の準備、運営も部員総出で大変でした。
昭和35年入部当時の朝練は部班運動が主体で、いつも隊列の馬順は、Ⅰ.北斗号(金花)、Ⅱ.北潭号(シラカワ)、Ⅲ.北翠号(エリザベス)、Ⅳ.北嶺号(ヨシタカ)、Ⅴ.北翔号(水堂)、Ⅵ.朝清号、Ⅶ.幸運号、Ⅷ.北楡号(ミスアップデール)だったと記憶しています。当時の馬たちを少し思い出してみます。
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「北翠号」(エリザベス)には吉田亨先輩(S36)がよく騎乗されていたのが印象的です。 |
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その後松本久喜部長、半沢道郎部長のお許しを得て、北大日高実験牧場から下飯坂先輩のお世話になり「北楊号」、「北翔号」(愛称チビ、水堂号=昭和天皇の御馬水晶号の兄弟)を馬術部厩舎に移籍してもらった。また札幌競馬場からコウセイ号(後の北瓢号)を購入し恩田正臣先輩(S39)先輩が調教、またナグサ号(後の北瓔号)を購入し八木正巳君(S39)が調教を担当した。 |
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「北潭号」(シラカワ)は、札幌国体終了後に北大自馬となった扱いやすく温和な女性専用馬。佐藤典子さん(S36)、高林嬉子さん(旧姓高階)(S36)がよく騎乗された。 |
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「北嶺号」といえば大場善明兄(S36)がよく乗っていた馬。熊本国体(S35)の一般中障害で優勝し、そこで現在の奥様も見つけたとか。この熊本国体の北嶺号は、千葉祐記さん(S37)が六段飛越でも3位とW入賞だった。またS34年の東京国体で森本悌次先輩(S35)が六段飛越で当時の日本記録「1メ-トル70」を完飛して優勝されたのも嬉しい思い出だ。北嶺号は試合が近ずくと首や腰にレンセンを示して試合に備える不思議な馬でした。 |
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「北楡号」(ミスアップデール)には斎藤善一部長がよく乗っていた。東京オリンピックの千葉幹夫さん(S34)が、北大時代に富山国体(S33)の総合馬術で優勝された名馬も元気だった。 |
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「北翔号」(水堂、愛称チビ)には小島武が、「北瓔号」(ナグサ)には八木正巳君が乗り、国体北海道予選の中障害で見事ゴールできたが、中央の檜舞台での活躍は次の世代を待つこととなりました。 |
私の頃の北大「主将」は、大場善明、千葉祐記、市川瑞彦、八木正巳、滝沢南海雄、小栗紀彦君と続き、ライバル「帯畜大」には中曽根、鷲田、中原、都築君の強者どもが轡を並べていた。私どもの翌年(S39)の王座決定戦では、帯広畜産大学が東北北海道地区の代表となり大阪服部緑地公園で開かれた。神戸に住んでいた私は、帯畜大の主将都築君を訪ね、差し入れに出かけたのを思い出します。福島大学の「神田君」も印象に残る一人です。東北大学には「横山君」がいました。
私の北大馬術部4年間の大きな出来事の一つは、各運動種目ごと別々に開いていた「帝大戦」を北大杉野目学長の許可をいただき一箇所で開催する「総合七帝戦」としたこと。その「第一回総合七帝戦 馬術競技」を北大が実施した。
また「馬術部30年史」を大場先輩;吉田先輩;三浦君;小島で仕上げたことも今となっては懐かしい。吹雪の中を印刷、製本のため苗穂刑務所に何回も足を運んだものだ。
「岡田光夫監督」には、監督要請のため初めてご自宅にお邪魔し数々のお世話にもなりました。
私たちの頃の「部室」は、第一農場事務所の一角を借りて、2人で厩舎泊まりの当番でした。冬は手押しポンプが凍結するので夕方には水を落とし、翌朝ポンプアップが毎日の日課でした。こんな時代が八木正巳君などと青春を過ごした僕らの馬術部時代です。九州帝大戦の折、今思うと、多賀子夫人に正巳君が博多人形をこっそり買っていたものでした。「誰へのお土産?」と皆が八木君に詰問しても、ただ笑って誤魔化し、そのときはついに白状しませんでした。
あれほど馬をこよなく愛した八木正巳君が、平成17年8月に交通事故のため亡くなりました。なんでそんなに急いで逝ってしまったのか。
どうか多賀子夫人、お気を落とすことなくお過ごしください。ここに彼からのメッセ-ジを記録します。
千の風になって
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを見守る
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています
(詠み人 知らず) 合掌