SLのこと、ポプラのこと、そして瀧澤君のこと


横田 肇(昭和40年卒)


『北大馬術部物語』の中の「ポプラ並木のそばに北大馬術部があったころ」を拝読いたしました。大変なつかしく、四十数年前のことが目の前に浮かんでまいります。

ここに掲載されております写真のうち、私のアルバムにも同じ写真が5枚あります。「部室のドアの内側」、「馬術部の脇を走るSL(2枚)」、「部室、サイロ、馬房、ポプラ並木」、「牧草地に立つポプラ」の5枚です。宮崎さんの下宿(北24条)で写真の現像をお手伝いした時にいただいて来たものと思います。

大場さんの写真解説にならいまして、私も少し解説させていただくことをお許しください。

「牧草地に立つポプラ」の写真は最高の芸術作品と思います。ポプラ並木を真っ直ぐ北へ向かいますと第1農場の果て、牧草地の中に天に聳える如く、ポツンと立っておりました。確か2本あったと思いますが、北に向かって写真を撮ると1本のように見えました。卒業後も札幌を訪れる度にこの2本のポプラの写真を撮りましたが、宮崎さんのこの作品より優れたものは撮れませんでした。

学生時代、私は一人前の鉄道ファンでした。北大へ行った第1の理由は「都ぞ弥生」が歌いたかったからですが、第2の理由は札幌までたくさん鉄道に乗れるからでした。北大の石炭専用引込み線は桑園駅から第1農場内を南から北へ直線で進み、工学部の北側でほぼ直角に折れて二百メートルほどで終点。工学部と恵迪寮の間が貯炭場でした。

私は今でも鉄道の踏み切りで列車の通過を待っている時は貨物列車の輌数を数える習慣が残っておりますが、当時北大構内に入ってくる石炭列車は最大で11輌、8月中旬から10月初旬まで1日数回来ておりました(1日1回の日もあれば、来ない日もありました)。石炭専用貨車は1輌30トン積みですので多い時は330トン、1日1000トン位運んだのでしょうか。北大の一冬の石炭使用量は2万トンと記憶しております。

SLにつきまして「D51」は昭和11年から18年まで1100輌以上作られた貨物用蒸気機関車ですが、我々の学生時代、函館本線では貨車のみならず、急行の客車も引っ張っていました。D51は130トンもありますので引込み線用には重すぎて使えず、写真のSLは大正時代に作られた貨物用の9600型(愛称キュウロク)です。

鬼籍に入ったOB部員3人のうち瀧澤は私と同期で馬友として4年、酒友として40年の良き友でした。彼が鍼灸師となって旭川で開業したのが昨年6月中旬。6月30日に「お前の腕前を見ておきたい」と言って旭川の彼の診療所(マンション)へ押しかけ、その針治療を受けた後、二人で旭川の街中へ飲みに出かけました。その時彼は体調がよくないということで飲み屋は1軒でやめにしたのですが、相当悪かったのでしょう。一週間後の7月6日には入院、二ヵ月半後の9月14日には昇天ということになってしまいました。馬術部OBでプロの鍼灸師瀧澤の治療を受けた者は私が最初で最後ではないかと思います。メールでその訃報を知り、名古屋、旭川間には飛行機が1日1便ありましたので、これに飛び乗ってお通夜と葬儀に出席しました。

良い人ほど早く亡くなると申しますが、瀧澤は温厚な紳士にして多芸多才、本当によい男でした。私はワルの部類に入りつつあることを感じる今日この頃です。

(おわり)

横田肇(よこた・はじめ)氏

横田肇氏

北大馬術部40年卒。農学部農芸化学科卒。明治乳業工場長など勤務の合間に書きためた資料を元に引退後に著書の出版多数。
「食文化・民俗・歴史散歩」(新風舎)、「名言に学ぶ男の美学」「酒詩の宴」(東京図書出版会)など。平成19年1月から厚生労働省の外郭団体、中央労働災害防止協会の月刊誌「安全のひろば」で「なるほど!文化考 -食・民俗・歴史から-」を連載中。名古屋在住。

 


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