半澤道郎先生からの伝言

永らく北大馬術部のためにご尽力いただいた北海道大学名誉教授 半澤道郎先生が平成18年5月4日、まさに「平成18年半澤杯記念大会」終了の日に逝去されました。

先生が北海道大学馬術部第六代部長時代の昭和57年11月8日、東京・馬事公苑で全日本学生馬術連盟25周年記行事が皇太子ご夫妻(今上両陛下)をお迎えして挙行されたとき、全日本学生馬術連盟発行の記念誌「学生馬術 二十五周年記念号」に、先生が書かれた『北からの提言』が掲載されています。これには北海道大学馬術部の歩みと、目指しているもの、学馬連のあるべき姿について詳細に先生の考えを述べられています。この原稿は北大馬術部「部報 第28号」(昭和57年度)にも転載されています。

平成18年6月17日に北大「遠友学舎」で開かれた「半澤道郎先生を偲ぶ会」での配布資料とあわせ再録します。(大場善明 (S37)記)


「北からの提言」(「昭和57年度部報」№28から転載)

北海道大学馬術部第六代部長 半澤道郎

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北大馬術部は昭和5年3月に「北海道帝国大学文武会馬術部」として、母体である「北大乗馬会」(大正14年創立)から誕生したので53年の歴史がある。

北大馬術部は、「部」の創立と同時に全日本学生馬術協会に入会し、たぶん翌年から同協会主催の全日本学生馬術大会に北大選手を送っている。この大会は昭和4年に「第1回」の競技会を開催しているので、協会が設立されたのも昭和になってからのことと考えられる。この大会は現在全日本学生馬術連盟に引き継がれ、昭和57年度は第54回大会(注:「全日本学生馬術選手権大会」)に当たっている。

このころ大正末期から昭和の初めに馬術部のある大学の数も少なく、自馬を持った部は僅かで多くは軍隊の馬で練習をし、競技会も陸軍士官学校、習志野騎兵学校等の施設の提供を受け特別の便宜が与えられていた。当時、高等学校にも馬術部のあるものがかなりあって、「全国高等学校馬術競技会」が東京帝国大学馬術部主催のもとに大正14年から毎年、陸軍大学で開催されていた。「学習院」はすでに校馬を持ち特別であったが、一高、二高、三高、五高、水戸、松本、山形、成城、広島、成蹊、弘前、姫路、北大予科(*北大予科の出場は昭和5年「第7回大会」から、このときの出場校は20校。)などの各校が競っていた。昭和16年の大会には全国26校の記録もあり、北大予科は昭和17年の「第19回大会」まで出場している。

北大は当時最も近い東北大学と昭和6年から「馬術定期戦」を始め、仙台の騎兵第二聯隊と旭川の騎兵第七聯隊で戦前は昭和14年まで、戦後は昭和27年に復活して途中中止した年もあるが、現在もなお続いている。

第1回七帝戦は北大が優勝

また「国立七大学(旧七帝国大学)馬術定期戦」は、現在は他の競技種目とともに各大学持ち回りで開催することとなったが、馬術競技は昭和12年に「第1回」を学習院馬場で開催(北大優勝)以来、戦時中の数年間は中止されたが、昭和27年から復活して現在に至っている。

北海道では昭和17年に「帯広畜産大学」(当時は高等獣医学校)に、昭和37年に「酪農学園大学」、「北大水産学部」(函館)、昭和48年には「北海道工業大学」にもそれぞれ馬術部が創立され、北大馬術部とともに道内外の競技会に出場し、また北大、畜大、酪農大の間で二校または三校で「馬術定期戦」を開催し学生馬術の振興に寄与するばかりでなく、北海道乗馬連盟の諸行事にも参加支援するようになり、次第に優秀な自馬を繋養して全国的に活躍するようになった。

一方東北地区にも「東北大学」を筆頭に、岩手、岩手医科、東北学院、福島、弘前、秋田の諸大学に馬術部が設立され、北海道を含めた北日本地区の学生馬術活動も次第に活発になってきた。それで「東北、北海道学生馬術選手権大会」が昭和27年から開催され、「第一回大会」は北大に於いて、岩大、岩手医大、帯広畜大、北大が参加して実施、以後昭和40年「第14回大会」まで北大、岩大、福島大、東北大、帯広畜大等の各大学に於いて開催されて来たが、「北日本学生馬術連盟」が結成されてからは、「北日本学生馬術大会」に併せて開催することになり、昭和57年には「第18回北日本学生馬術大会」が帯広畜産大学馬場で開催された。もしもこの大会を「北日本学生馬術選手権大会」と呼べば「第30回大会」に相当する。

以上が北日本地区学生馬術の発展と概況であるが、ここで話を昭和30年ころに戻し、その当時の学生の希望を「北大馬術部三十年史」(昭和37年1月1日北海道大学体育会馬術部発行)の中から取り上げて、真の全日本学生馬術王座決定戦の実現に至る経緯を述べてみる。

昭和30年度は北大馬術部が出場したすべての公式戦に全勝する戦後の最盛期を迎えながら、学生馬術の全国的大会がないために「日本一」を競う機会がなかった。当時の日本学生馬術界は地域ごと、たとえば関東学生馬術協会とか関西学生馬術連盟とか東京六大学などの組織があっても全国的な組織がまだなかった。それにもかかわらず関東地区と関西地区の間で「全日本学生王座決定戦」の名称で、昭和26年から大学日本一を決めていた。

この大会を真の全国大会にすることを強く主張したのが、昭和30年の春、日本馬術連盟主催の「第1回学生馬術講習会」の席で北大馬術部の「宮澤寛」君だった。当時全日本学生馬術連盟の結成には、なおかなりの月日を要するものと考えられたので、取りあえず日本馬術連盟の主催で全国的規模の王座決定戦を実施することことを希望し、連盟に対しその後も働きかけを続けてきたのであった。従来の王座決定戦の主催団体が関東と関西だけの学生団体であって、日本馬術連盟はそれを後援していたに過ぎず、ただちに連盟主催にするのには抵抗もあり早急には具体化されなかった。しかしこの「北からの提案」には大義名分があったことと、日本馬術連盟の青山幸高理事(後、学馬連会長)のご尽力によって昭和31年度にほぼ全国的規模の大会が開催される見通しがついたのであった。

ところが残念なことに王座決定戦の予選となった東北・北海道学生馬術選手権大会で、この年の北大は帯広畜大に敗れたために、それまで努力してきた王座決定戦についての交渉を帯広畜産大学に申し送り事項として引き継ぎ、北大は一時手を引く形となった。結局情勢は後退し昭和31年度には実現されず、翌年再び北大が東北・北海道学生馬術選手権大会に優勝できた時にもすでに手遅れとなって昭和32年度にも実現されなかった。

昭和32年12月、全日本学生馬術連盟が創立されて、ようやく同連盟主催のもとに真の学生日本一を決める「全日本学生馬術王座決定戦」(王決)が行われることになった。

提案してから実現まで4年の歳月を要したのは、北日本地区として連盟組織がなかったこと、各地区間の横の連絡が欠けていたこと等によるが、中央の全国的組織であった「全日本学生馬術協会」が未熟であったためかと想像される。ともかく王座決定戦に関して投ぜられた「北からの一石」が「全日本学生馬術連盟」結成の促進に幾分かの力があったとすれば誠に幸いであったと思う。因みに「王座決定戦」の名称は昭和42年までで廃止され、昭和43年からは三種目競技会「全日本学生自馬大会」(注:のちの「全日本学生賞典馬術競技大会」、「全日本学生馬術三大大会」)として実施されている。

北大主催だった全日本女子学生馬術大会

また北大馬術部は昭和33年に「第1回招待全日本女子学生馬術大会」を北大で開催、昭和39年の「第7回」まで北大馬場を会場として実施、年により参加校数が変わったが、夏休みの北海道旅行も兼ねて参加する大学も多く、「第6回大会」には青山学院、麻布獣医、明治、岐阜、学習院、東北、福島、鹿児島、早稲田、帯畜、北大の計「11校」が、また「第7回」には熊本、岡山、岐阜、名古屋、早稲田、中央、福島、岩手、酪農、帯畜、北大の「11校」が参加し、誠に華やかな大会だったが、この大会が母体となって昭和40年から全日本学生馬術連盟の主催で「全日本学生馬術女子選手権大会」が開催され、昭和57年度は「第18回」になるが、北大で始めた昭和33年を第1回として通算すれば第25回となり、特に女子学生選手権だけ第18回とすることもなく女子も堂々と「25年」をお祝いできる次第で、主催にこだわらず「第25回全日本女子学生馬術選手権大会」にしていただければ、北大としても、北日本としても礎石を築いた功績を認めて頂くことになり誠に嬉しいことであります。

全日本学生馬術連盟「25周年」の記念として、過去の投石に新しい提言の投石を加えてみました。なお、「学生馬術」第二号(昭和40年12月、学馬連発行)の6ページに載っている当時の副会長、青山現会長が提唱された、「東西対抗馬術競技会」も選手権や王座決定戦とは別に、対抗意識を高揚して練磨する上に効果があり興味もあると思います。
大きな会長賞(チャレンジ杯)を出していただいて、一年遅れながら25周年を記念する大会として全日本学生馬術連盟が主催されてはは如何でしょうか。

(半澤道郎:昭和58年3月15日、73歳の誕生日に記す)


半澤道郎先生 ご経歴

明治43年3月15日 北海道帝国大学農学部教授 半澤洵先生の長男として札幌に生まれる。
昭和 8年3月 北海道帝国大学理学部化学科を卒業、同大学院有機化学講座に進学。
昭和10年11月 同大学院を中退、北海道帝国大学理学部副手、引き続き助手に就任。
昭和12年12月 理学部から農学部に移籍。同学部で助教授、教授に昇任、林学科林学第6講座を担当。後に、林産学科の増設により林産製造学講座を担当。専門は木材化学で、主に木材のパルプ化および抽出成分を有機化学の手法を用いて研究。
昭和48年4月 定年退職、名誉教授。
昭和50年4月 酪農学園大学嘱託教授(5年間)。
昭和57年4月 勲三等旭日中授章。
平成18年5月4日 肺炎のため逝去(享年96歳)。
この間、日本馬術連盟理事、北海道乗馬連盟副会長、北日本学生馬術連盟会長、北海道大学馬術部長、北海道大学馬術部後援会会長など、広く日本の馬術界に貢献。 (以上)

偲ぶ会
半澤道郎先生を偲ぶ会 平成18年6月17日 北大・遠友学舎
 

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