最終更新日   2017年1月25日


北大馬術部後援会 ホームページ制作委員会編

馬に親しんだ者なら知っておくべきことが二つあります。ひとつはオリンピック馬術史上、今なお日本が勝ち取った唯一の金メダルですが「バロン・西とウラヌス号」の話であり、もうひとつは、いまだに人の琴線に触れる「城戸俊三と久軍号」の話です。

馬術は男女差なし、年齢関係なし、唯一、動物と人間が一緒に競技する珍しいスポーツです。

公式記録には栄光のメダリストとともに馬の名前が記録されます。それゆえ「King of Sports」(スポーツ中のスポーツ)として敬意を払われ、大会はつい最近までオリンピックの最終日、閉会式の直前に陸上競技が終わったばかりのメーンスタジアムで満員の観衆を前に開催されてきました。

紹介する二つの話とも「第10回ロサンゼルスオリンピック」で生まれました。この大会は、1932年7月30日~8月14日まで、37の国と地域から1,334名の選手を集め開催され、16競技117種目が実施され、日本代表選手団は9種目に出場し、金メダル7個、銀メダル7個、銅メダル4個という大戦果を得ました。

金メダル組には南部忠平(陸上男子三段跳)、これから紹介する西竹一(馬術障害飛越)など、銀メダル組には「前畑ガンバレ!」の放送で有名な前畑秀子(競泳女子200m平泳ぎ) がいました。日本が大デレゲーションを送り出した理由は、次々回の1940年の第12回東京オリンピックを招致しようとしていたことや、第9回アムステルダムオリンピック(1928年・昭和3年)で、金メダル2個、銀2個、銅1個と大活躍をして意気が上がっていたこともあり、前回の4倍近い192名の代表選手団を送り、日本の参加人数は各国全選手団数の約1割にあたる多さでした。

迎えるアメリカ側の国民感情は日本に好意的ではありませんでした。前年の1931年に満州事変が勃発し、日本の満州侵攻に批判的だったアメリカは日増しに反日感情が高まっていて、在留日本人が多いカリフォルニア州の邦人たちは微妙な立場に立たされていました。そうした背景の中で二つの馬術物語が生まれたわけで、在留日本人たちが欣喜雀躍したことは容易に想像できます。

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